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大陸からの亡命者三千人
紀伊半島の熊野灘から上陸!

徐福伝説

紀元前210年(始皇帝37年)、当時の世界一の大帝国:秦の始皇帝朝廷は、徐福という方士(神道を信じて神仙を目指している人)を3回に渡って3000人以上の童男童女匠人たちを伴わせて「東瀛」という太平洋「蓬莱の国」に派遣しました。ところが、なんと、全員が姿を消して2200年以上に渡り「行方不明」になってしまいました。しかし、2200年の間、日本、韓国、琉球、ハワイ・・いろんなところから「徐福及び膨大な船隊上陸!」のうわさは絶えないのです。筆者は、2004年ゴールデンウィークにドライブ中、紀伊半島の南端の新宮市で突然・・・「徐福公園」を発見!建設費用は6億円以上、ガイドさんの情熱(徐熱?)且つ雄弁な解説には、なるほどと連発、やはり大陸からの亡命者三千人は紀伊半島の熊野灘から上陸と確信しました!




写眞には、和歌山県新宮市東海岸近くの「蓬莱山」(標高47.7メートル)。深い森林で覆蓋されています。ガイドさんは、「この森林には、鉄のものがたくさん発見されています」といいました。(次回の連休は必ず実物を見に行こう!)。手前の神社は、「蓬莱山」の山麓にある「阿須賀神社」です。




「秦徐福上陸之地」の石灯篭です。この場所は、今は海べと離れて数百メートルの小川辺にありますが、考察により、かつて、この場所は、「蓬莱山」とともに、海辺から間近だったようです。昔からあった筈の石の碑は、行方不明になり、この石灯篭は、かなり最近のものです。







「方士」の考察
凌炎

「方士」は、もとは周代(紀元前1000年から紀元前300年)の王族の子供教育の官吏、及び土地訴訟に関する裁判官など官吏の官名です。戦国時代(紀元前300年から紀元前200年)には、神道(多神教、神仙教)を信じている人たちを「方士」と呼ぶようになりました。「方士」たちの特徴は、1)戦国時代の燕国(今の北京周辺)、斉国(今の山東省一帯)に分布していました。2)「修練したら神仙になれる」と信じで、自らも修練の実践していました。3)さらに、殆どの各級の統治者から重用されて、経済面、生活面で支持されてきました。4)「方士」たちの主な仕事は、「煉丹方士」:水銀を作る原料の「朱砂」から、水銀及び水銀の化合物を作成しました。このような新い化合物は、「不死と言われる仙薬」と名つげ、統治者たちと有産階級に捧げていました。なぜ「仙薬」と名づけたかというと、水銀の特性と毒性を利用して、色んな不思議な現象を起こした訳でした。当時の人々は、まるで神の業と信じこみました。このような新しい化合物を作成する技術は、「仙術」と称して、その時代、かなり活躍していました。しかし、このような「不死と言われる仙薬」を飲んで死んでしまった皇帝は、戦国時代から唐代まで、少なくありませんでした。そして他の「方士」としては、「煉気方士」:インドのヨガのような修練を積む方士、「星占方士」:天体運行で占いをする方士、などなど、数十種類の「方士」がいました。 「方士」たちの活動は、唯心論の目的から、唯物論の結果になっていました。中国の歴史上で、化学、物理、天文、地理、薬学、料理、気功などの発展を推進していました。「方士」の名は唐代まで使われていました。唐の時代に「方士」たちの色々な技を「方術」という学術で纏められました。そして中国の伝統宗教「道教」(日本の神道教と似ている多神宗教)は、この「方術」を自分の宗教に取り入れて、「方士」は「道士」になってしまいました。徐福氏は、多分山東省の有名な「方士」として、始皇帝から指名されて重臣になり、蓬莱の国(日本)に辿り着きました。そして、始皇帝の悪政から逃げるために亡命して、蓬莱の国に融化したと思われます。

日中文化交流
情報更新は2004年5月8日

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